2011年12月24日土曜日

震災後9ヶ月が経過し、初めて現地を訪れる。

第9回:クリスマスキャラバン

平成23311日から約9ヶ月が経過。
9
ヶ月目にして初めて現地を訪れる。




昨年、私は足の手術を行い、震災直後はまだ手術した足に不安があったため、すぐに現地に赴く事ができなかった。
また、震災から月日が経つにつれ、『今から自分に何が出来るのか…』という思いもあった。

切っ掛けは今年の10月、SWTJの隊員でもある友人からのチャリティーライブの誘いからである。そこには学生時代にお世話になった講師の姿もあった。SWTJ代表の吉川恭生氏である。
この出会いを無駄にしてはいけないと感じた自分は、その場で現地に行くことを決心した。

自分自身の様々な問題と不安を抱えながら、12月の『第9回:クリスマスキャラバン』に参加。震災からすでに9ヶ月が経ち、体の不安が残ったまま、初めて現地(気仙沼)を訪れる。




蕎麦打ちを披露する気仙沼の吉田氏

現地の方にクリスマスプレゼントを手渡し。

私の不安とはよそに、気仙沼で出会った方々は皆、私を笑顔で迎えて下さった。そして、人には話せないような悩みや震災での記憶を私達に丁寧に話して下り、一人一人がそれぞれの思いや悩み、苦しみを持っている事を改めて知った。

中には私の手を取り、『よく来てくれた。よく来てくれた』と、何度も強く手を握り、目に涙を浮かべる方もいた。

そして、ここでは私の足を気にする人はいなかった。それよりも、自分が現地に来たことを喜んで下さった。

私は、今回の活動の中で、SWTJ(東北@連帯)メンバーが、なぜ、祭りのような事を現地に届けようとしているのか分かるような気がした。
私自身、現地の子供たちと触れ合ったとき、このような時でも、少しでも良い思い出になってくれれば、それで良いという思いでいた。
将来、この子供達が大きくなった時、震災の事を語る時が来るでしょう。
その時に、はっきりとは覚えていなくても、1つでも良い記憶として思い出して頂きたい。

 
  

今回のミッションを終え、私は自分自身としても何が出来るのかを考えたいと思った。
今回の活動では、現実に『見えた部分』と『見えていない部分』があることにも気付いた。
自分はこの『見えていない部分』にも、目を向けていきたいと考えている

この5日間の活動の中で気付いたことは大きく3つある。

まず1つ目は、現地に来て良かったという事。それは、活動を通じて、たくさんの現地の方々に出会えたことで、一人一人の想いを直接受け取る事が出来たという事。

もう1つは、自分が描いていたイメージと現実とのギャップである。ニュースや新聞では伝わらない現実がそこにあるという事。復興復興という社会的な流れに対して、現地の方々の心がそれについていけていないという現実。また、震災当初とは違い、人手不足という現実。津波の被害を受けた建物が、いまだに数多く残っているという現実。そして、今回の活動では出会えなかった方の中には、震災から9ヶ月が経過しても、このようなコミュニティーの場に顔を出せない方もいるという現実。

そしてもう1つは、現地の方と交流することで、復興は人が為すべきものだと改めて感じた。建物や道路が復旧しても、そこに人がいなければただの物でしかない。





改めて、私は本当に現地に来て良かったと感じている。
自分自身の目で見る事に大きな意味があった。
そして、『今からでも遅くはない』と感じた。


支援の形は様々な方法があると思います。しかし、私自身の願いとしては、今からでも現地に来て頂きたい。そして、被災した現場を見るだけでなく、現地の方々と話をして頂きたい。そう願っています。



 






貴重な話をして下さった気仙沼の皆様、本当にありがとうございました。
また必ず会いに行きます。
そして、今回のクリスマスプレゼントを用意して下さった支援の皆様、現地の方々に大変喜んで頂きました。本当にありがとうございました。

SWTJ 渡邉英治

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9回:クリスマスキャラバンスケジュール
10日 18:30京都出発
11日 10:00 気仙沼小学校(キャンプ地)着
      ソバ打ち会・クリスマスプレゼント手渡し
12
日 気仙沼海岸付近を視察
    陸前高田柳澤会館にてキムチ漬け・参鶏湯・クリスマスプレゼント手渡し
     新築祝いに参加
13日  仮設児童館参加・
クリスマスプレゼント手渡
14日  南相馬へ出発
     南相馬最後の避難所を訪問・クリスマスプレゼント手渡
15日  帰京
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2011年12月18日日曜日

第9次京都キャラバンレポート(1)

本格的な寒さを迎えようとしているなか、第9次キャラバンのレポート第1報はわたし、
今回初参加のkatoが担当させていただきます。
「こんなに積めるんか?」「いや積める!」
〜山のようなプレゼントとともにキャラバン出発


12月11日夜京都発。
隊員5人と、たくさんの方からお預かりしたプレゼントで
ぎゅうぎゅう詰めになったワゴン(上地隊員車)が
今回のキャラバンカーです。






北へ向かうほどに冷気が増し〜
仙台を越えたあたりから雪が舞ってきました

インターで見る天気予報
東北はマーク
一関インターを降りたあたりの様子。
路面がところどころ凍っています





陽が高くなるにつれ、少しずつ気温が上がって
雪もなくなり、本日の気仙沼は快晴。

気仙沼市立月立小学校に到着。

ドライバー上地隊員おつかれさまでした!

今日のお昼は恒例「そば交流会」〜
さっそく準備にかかります。

八瀬森の学校・吉田勝彦さん
あざやかなそば切り。


















もと職員室が「食堂」です。
窓のそとに仮設住宅がみえます。




こちら天ぷら部



















渡邊隊員も天ぷら職人デビュー


























「今日は何人くらい来てくれるやろうか?」
「○○さんにも伝えたけれど、覚えてくれているかな」
「もっと声かけたらよかったかなあ」・・・

準備しながらみんなで心配していましたが、開店前からちらほらお越しくださり、
一気ににぎやかになりました。
(ピーク時はそば茹で担当だったので写真撮れず)




隊員からお一人ずつプレゼントをお渡し〜
「こんなにたくさん?!」
「ここのお煎餅、好きなんですよ」
京都老舗田丸弥さんのお煎餅、御所飴本舗さんの飴が入った
京都造形芸術大学の方からの手作りカード入りのプレゼント、
渡邊隊員からの駄菓子詰め合わせは「孫にお土産ができた」と喜ばれました。
上田隊員からのハンドクリームは、この時期の必需品。
手にされた皆さんのほころばれた顔に、
新米隊員(わたしです)の緊張もようやくとけていきました。


夕方、仮設住宅におられる方との交流会〜



京麩の老舗「半兵衛麩」さんからいただいた
「お麩」をつかって
定番「麩チャンプルー」をつくる吉川代表。




仮設住宅に移られて間もない方も多く、まずは
お一人ずつ自己紹介をしていただきました。
漁師さん、介護士さん、、、
月立の仮設住宅には、さまざまな地域から
来られて地縁がない方も多い。
集まる機会を重ねることが大切と、
異口同音に言われる月立のかたがた。
SWTJが接着剤になってくれているよ、とも。




月立の和彦さんの自家製米をいただきながら
語りあうほどに話はつきず


消灯時間、名残惜しくもお見送り
プレゼントをお渡しして




新米隊員のつぶやき〜

12/13気仙沼から陸前高田へ移動途中
警備の方に湾岸の様子を伺う上田隊員 




3月11日から9ヶ月。
手つかずのところも多く、全く知らずに来たならば、
埋め立て工事をしていると言われたら信じてしまうのでは
ないかとさえ思われる、気仙沼の湾岸エリア。
凍てつく風のなかを、淡々と復旧にあたる人たちがいます。
地盤沈下した地に放置された建物、車。
頭についてはなれない。
京都に帰ってきてから、道路工事で削られたアスファルトが
積まれたのを見ても逐一反応してしまっている自分がありました。
これは何だったのか。もとはどういうものだったのかーー
そんなふうに思い馳せるようになりました。
それが「物」であり、そこには人がいて、
暮らしがあり、仕事があったことを、
常に意識するようになりました。




この壊れた風景を「日常」にしてはならない。
特にこどもたちには。
子をもつ親として強く思いました。
そのために自分はどうしたらいいのか。
いっそう考えています。





再開したお店には「営業中」ののぼりが。
誇らしげに、ともしびのように。
刻々と変わることもしっかり刻まねば。
車中から陸前高田の海をのぞむ


次回はこどもを連れていきたい..と
ひそかに企んでいます。

そう、こどもこそ、東北へ。

それまで日常にまかれながらも、出来ることを淡々と続けていく一人に連なりたいと思っています。

(加藤わこ)


2011年12月12日月曜日

第9回京都キャラバンスタート!


第9回京都キャラバン出発しました!
今回は、すこし早いクリスマスを気仙沼の皆さんに届けます。

12日午前より、陸前高田仮設住宅で参鶏湯つくり&キムチつけましょ会。
13日午前は、気仙沼市内児童館でクリスマスリース作り会。午後は小学校学童保育へサンタさん計画。
キャラバンは、15日帰京の予定です。
参加メンバーは
吉川恭生(隊長)・上田裕子・上地 ・加藤 和子・渡邉 英治の5名です。

今回のクリスマスキャラバンのために、クリスマスカードや飴、お煎餅、焼麩、キムチや参鶏湯づくりの材料などたくさんのご支援をいただきました。この場をかりて御礼申し上げます。



首藤直哉@SWTJ

2011年12月6日火曜日

Hope 春を待つ Don't let me down 私を悲しませないで

震災後6ヶ月の9月11日。10月、11月と、はや8ヶ月が過ぎて、現地で感じるのはジレンマだ。
この船を震災の記憶として残すか撤去するかで意見は別れている。

震災直後は緊急援助が必要でプライバシーも無く、何が必要かあからさまに見えていた。当然我々は先を見越して長いニーズに答えようと考えたのだが、はたして?うまく機能したのだろうか?

4月、5月は資金も無く、情報も人脈のも無いまま想像で走っていた気がする。こういう援助が必要だろうとのおごりもあった。被災者の気持ちを理解する為の努力をどれだけしていただろうか?
震災後8ヶ月の南相馬。時間は止まっている。

4月9日、初めて気仙沼市ボランティアセンターから急な依頼を受けて炊き出し150人分を届けに行った時のことをはっきり覚えている。徹夜で仕込んだ「粕汁」を用意する前に手伝ったのは個人宅の倉庫に積まれた物資の種分けだった。米、水、野菜、缶詰、もちろん喜んでお手伝いをしたのだが、この時、気がつくべき事があったようなきがする。

9ヶ月が過ぎようとして「京都キャラバン」も第9回目を送り出そうとしている。毎回プログラムを支援して頂いてる皆様のおかげでなんとか続けられてきた。仲間もまさしくボランティアで出来る事は全部しようとがんばっている。皆、一回一回の出会いを大切にしながら何が必要かを考え続けていた。ブログでもそれぞれのミッションについて仲間が書いてきたが、我々は、被災地で受け入れてもらうのに、何時も愛想よく丁寧に、何を持って来て、何をしに来たのかを説明していた。私自身は、最初からアタマをモヒカン刈りにして、一度遇ったら二度と忘れられないよう努力していた。
愛想良く丁寧にモヒカンが行く陸前高田。お目付役二人。

6ヶ月が過ぎた頃から何か少し変わってきたような気がしていた。そのころ瓦礫は撤去されていき、避難所から仮設住宅への生活と物理的には改善されたように報道されていた。(現実には決してそうでもなかったのだが)物資は姿を消し住民格差はどんどん広がっているように感じ始めた時、陸前高田の仮設で言われた言葉にはっとした「何も持ってこんでいいからゆっくりしてこ」。タコ漁師のゆうちゃんと飲む酒は美味しいし、月立仮設住宅で飲む酒は静かに塩っぱかった。中学生とのワークショップも楽しかった。素晴らしい出会いが重なり少しづつ本音の話が出来るようになってきた。


気仙沼支部の田村支部長が毎年新月中学校で行っている「たたら製鉄」ワークショップ。砂鉄を木炭炉で溶かし製鉄をする。
この地方に昔から伝わる伝統だ。製鉄した鉄をどう使えるようにするかが課題だ。吉田事務局長と手伝う。

私は、思う。被災地の人々だけではなく誰にとってもお金は大切だろうし、生活をして行く上での様々な物が必要だろう。時間も。そして、当然の事ながら我々には皆、幸い「尊厳」と「品位」がある。被災者の人たちは、支援、援助を受け入れるだけの生活に疲れておられるのだ。
アクセスが容易だった塩竈には物資が溢れていた。もらうのに疲れた彼らに綿菓子を渡すのも一苦労だった。


「緊急」から「長期」へと変わっていく「復興」は、「物」から「お金で買えないもの」に変わってきていると思う。否、はじめて気仙沼を訪れた時からそうだったのかもしれない。あまりにもひどい被災現場で私には見えていなかっただけかもしれない。優先順位がその時は違っていたのかもしれない。「お金で買えないもの」とは?なんだろう


「お金で買えないもの」記憶、写真、家族、戻せない時間。


我々が取り組んできたプログラムは、その時々の要求にすばやく対応し、大変喜ばれたと思う。それは、リサーチ、モニタリング、プログラム、アクション、アンケートを実行してきた事と、現地に開設した各支部からの要求にすばやく答えたからだと思う。京都、広島など各地からの支援も心強かった。そして、なによりも第三キャラバン以来お世話になっている気仙沼「八瀬、森の学校」の皆さんの存在が大きい。この地区は直接津波の被害にあったわけではないが、親戚、友人、職場を震災でなくした人もいる。この地区はそれでも我々ボランティアを受け入れて下さり、多くの差し入れ、援助をしてくださっているのだ。


リサーチ
アクション

モニタリング
春の花プロジェクトはチューリップの球根を仮設住宅の皆さんと植える「時間」を共有しようと企画された。
「春を待つ時間」も提供できたかな。


この9ヶ月、多くの悲しみに出会い、笑顔の瞬間に立ち会ってきた中で、感情を表に出せない人々にも出会った。これからも私たちは、心の扉をノックして、真摯に向き合い、信頼してもらうように活動していかなければならないと思う。そして、仮設住宅の扉を開いてもらい、信頼し合えるような存在にならなければ、長い冬を越えて春を一緒に迎える事はできないだろう。望まれている事は、「お金で買えないもの」は、「信頼」しあい「そばにいて」「時間を共有」することなのかもしれない。




南相馬の風景。静寂とはりつめた緊張感が空の彼方へ続いている。空も海もつながっているのだ。


南相馬のパン屋「パルティール」。震災直後被災をまぬがれた唯一のパン屋さんは、パンを不眠不休で焼き続けて避難所に配り歩いた。
このパン屋のテーマソングを作ったミュージシャンとの出会いから、ライブの裏方をつとめる。

Dream&Hope 〜くちびるに唄を、こころに勇気を〜菜穂、高橋遼、ARISA

私たちはここからはなれられない。

吉川恭生

2011年11月26日土曜日

震災から8ヶ月: ニーズが変わるなか、相変わらず続く深刻な現状 。



SWTJ
10月11月活動リポート


震災から八ヶ月。被災地の現状、どう変わったのだろうか。
そしてSWTJがどう新しいニーズに答えているのでしょうか。

暮らしにくい避難所で長い歳月を過ごした避難所滞在者がこの秋やっと、ほぼ全人仮設住宅に入れた。

避難所で使われた仮設トイレが、たんぼの中で新しい使用を待つ。陸前高田(10月22日)


仮設住宅に入ると、プライバシーがあり、やっと自分のトイレやお風呂もある。しかし次に新しい深刻なニーズが出てきた。

新しいニーズに応えるべきだが、その中に次の課題がある:

・仮説住宅の周りの環境を冬の前に改善すべき。
-----雨、風、雪に対しての設備。水が仮設の周りにたまらないように側溝を作る。仮設の雰囲気を改善:花を植える、ベンチなどを設置。

避難所での生活が終わった。しかし、その瞬間から、そこに避難した方々に自立が求められる。仮設住宅には、二年の間に住めるのだが、電気、ガス、毎日の必要経費と料理、これから自分で払わないといけない。大勢の方々が職業先を失った中、収入がない状態が続くとこれからが深刻だ。 

 -----漁業、農業、商売、観光などでの新しい仕事場が必要。

・震災後、慢性病や避難所での生活の疲れが理由で、津波をせっかく生き抜かれた大勢の方が亡くなられた。仮設住宅に入ってから、この傾向が続かないよう、行動をとるべき。
 ----- 仮設住宅に入ってから、慢性病などで悩む方々が社会の目から消えがちである。通いなれていた医者や病院がもう近くにはないなど、新しいライフラインが必要 なか。それぞれの地域行政の対応も必要だが、介護のための資料・手続きが簡単ではないことなど理由に、大勢の方に必要なサッポートが回らない。民間やボラ ンティアのサポート活動も必要。

・避難所でせっかく作ってこられたコミュニティーが仮設住宅に入ってからばらばら。  仮設を建てる土地が少ないため、遠隔地で仮設住宅が建てられ、高台など、店や学校から遠く離れている場所も多い。新しい環境の中で新しい人間関係を作らな いといけないだが、長い避難生活のストレスと疲れも溜まり、その前向きなエネルギーを出せない方もおられる。そして仮設で一人になると津波のトラウマも訪 れる。孤独、飲酒問題、鬱など外から見えない問題が深刻だ。
-----新しく地域で人との繋がりを作れる場と機会が必要。違う環境の町で新しいスタートが出来るきっかけ作りが必要だと思われる。

唐桑半島の仮設住宅 の浄化槽(10月 24)

もうすぐ冬。風雨が吹き込む。対策が急がれる。
漁師が山の上で仕事?
仮設入居者が唐桑半島の山でわかめの種付けのための準備。ここから通って、かきの養殖、ほたての養殖の準備も開始している。気仙沼では、半分以上の方が漁業や養殖に関連している仕事を持っている。 しかし、沿岸設備の環境が直らないと、仕事にもどれない。(11月9日)


津波によって被害受けた気仙沼での冷凍設備 (10月 20日)。 冷凍設備が直らないと、気仙沼の漁業関連の営みが動きにくい 
 
SWTJの現場での対応

--仮設住宅の近くに交流場を作るのをサポート
仮設住宅で少しずつ新しく人との繋がりを持ち、新しい生活のためのきっかけや可能性を見つけ、人との繋がりによって孤独から少しだけでも開放されることを期待したい。

--春の花プロジェクトを開催 
仮設入居者と共に花壇、プランターなどを作り、春に向けて球根を植える。 仮設住宅から外へ出ないお年寄りなどが少しでも外に出て花を世話したり、花に癒されることを期待したい。植え込みイベントによって、人と人との繋がりを増やし、新しい絆を作ることが目的。
--交流イベント・食事イベント・コンサートを企画
集 まる、新しい人に出会う、新しい生活のきっかけを見つける、久しぶりにみんなと笑えるための機会を作りたい。10月と11月に気仙沼唐桑半島・気仙沼月立 区・岩手県での陸前高田に、SWTJによって5箇所で開催されました。福島県南相馬ではSWTJがチャリティーコンサートをサポート。

--被災地でSWTJ支部
宮城県と岩手県には、地域の方が管理・活動するSWTJ支部があり、被災者でもある現地の方々が次々と新しい取り組みをタイムリーに行っています。

--SWTJは被災地での文化的活動を被災地外に紹介
SWTJは、被災地で地域エコツーリズム・文化的活動などを行っている方々と繋ぎ、それらの活動をホームページで紹介していきたい。全国や外国で紹介することによって観光に貢献していきたい。

--別のボランティアグループと協力する場合も          
(11月11日に南相馬でチャリティーコンサートを協力)
--現地での文化的活動・地域イベント・お祭りなどに積極的に参加。
その活動によって:
ー地域住民の方々とSWTJとの信頼関係を強める
ー現地のSWTJ支部とのチームワークを強める
ー被災地での新しいニーズを把握する
10がつ・11がつに:気仙沼市月立駅伝に参加・八瀬森の学校の蕎麦営業イベントに参加・新月中学校で英語交流・気仙沼市立獅折小学校で学童の子ども達と交流。



 SWTJは気仙沼市月立駅伝参加。四位入賞 (11月6日)
 SWTJ気仙沼支部事務局長が森の学校で手打ち蕎麦(10月23日)
 
SWTJは学童で他のボランティアと一緒になって、子ども達と交流。少し前まで、この小学校は避難所として使われた。沿岸が近くて、津波や火事の被害が多かった地域だ。


気仙沼市立新月中学校で中学生と英語で交流。あと何年か、復興を担ってくれるだろう地域の若者だ。(10月21日)(写真:新月中学校)


SWTJは活動する場所:

地震と津波と原発事件によって、40万人以上避難することになった。
SWTJが出来ることはとても限られている。

SWTJの活動は小さく始まった。
震 災直後に宮城県で知り合った被災地の方々と繋ぎ、その地域でまず活動した。周辺の地域での方々とも知り合い、活動を続け、少しずつ範囲を広げた。そして、 活動の時に出逢った現地の方や現地で長期的に支援続けるボランティアに次の場所を紹介してもらったりした。このように、SWTJは少しずつ活動を広げてき た。
現地の方々の協力で、宮城県でSWTJ気仙沼支部、岩手県でSWTJ陸前高田支部が出来た。主にその支部のご協力で現地での活動を続ける。

そのほか、南三陸、気仙沼の大島、又福島県の南相馬にも活動を広げることになった。


大島の山上から見た気仙沼市(10月20日)。震災の時、気仙沼湾と大島が津波に、そして火事に、覆われた。


大島の山上で木に火の跡。山頂まで火が上がった。(10月20日) 

 少しずつ、ごみが分けられ、リサイクルされる(気仙沼市唐桑半島10月24日).
上の二枚の写真は、陸前高田5月30のもの。半年前と比べて、片付けが大きく進んだ。しかし下の写真で分かるように、これからのごみ処理が大変な問題だ。 

陸前高田あたりの道路沿い (10月22日) 
 陸前高田ごみ処理リサイクル場 (10月22日)
SWTJ京都はSWTJ陸前高田支部の金沢支部長と打ち合わせ。11月の球根植えや仮説での交流イベントについて話す。(10月22日)写真:さの工務店(仮設住宅建設会社)
SWTJ陸前高田支部の村上さん(タコ漁師)とSWTJ代表の吉川 (10月22日)

 SWTJ が宮城県で居酒屋を営む吉田さんと打ち合わせ。近くの仮設住宅での球根植え付けと交流イベントについて話す(10月23日)



SWTJ気仙沼支部:
旧月立小学校での仮設住宅付近に交流スペースを

旧月立小学校は、1922年(大正11年)に建てられ、2007年(平成19年)に登録有形文化財に指定された美しい木造校舎である。
旧月立小学校では現在八瀬・森の学校が活動 

2006年から、八瀬・森の学校はその古い建物を生かし、「手打ちそば」「炭焼き」「農業体験」「川遊び」などによって、都会の人たちに楽しんでもらえる地域イベントを行い、大きく地域に貢献してきた。
震災直後から、学校の運動場がボランティア村に使われ、その後8月から仮説住宅の場にもなった。 

森の学校の方々が、このように新しく学校の付近に生活するようになった人たちをずっと暖かく守ってきた。そしてここはSWTJ気仙沼支部にもなった。



学校校庭の仮設住宅(10月25日)
左:旧月立小学校。右。仮設住宅。 (10月23)




SWTJは、仮設近くの物置き場を片付け、交流場を作った。 地域の方々とテント村のボランティアも少しずつ手を加えてくれた。SWTJは10月に、壁など作り、冬のための準備も行った。 (10月25日) 
この交流場に少しずつ、いろんな人が集まるようになった。仮設住宅の住民、現地の人、森の学校の人、近くで農家を行う人、ボランティア達だ。ここで一服し、食事を食べ、交流を深める。
そして人と人との新しい繋がりがここで生まれる。
交流場でのひと時 。地元住民、仮設住宅の入居者、ボランティア、皆で囲む鍋は最高です。(10月20日) 


SWTJ気仙沼支部長田村さんの芋煮を囲んで、みんなで交流 (10月22日) 
SWTJの協力で交流場の隣にお風呂も。交代で薪でお湯を作る (10月25日)



八瀬森の学校での手打ち蕎麦営業 (10月23日)

SWTJ気仙沼支部事務局長吉田さんが八瀬森の学校で手打ち蕎麦。 これはスローフード:蕎麦はここで種を蒔いて、ここで刈り入れ、ここで加工、ここで手打ちして、ここで食べる。もともと、気仙沼はスローフード宣言都市なのです。(10月23日)) 


八瀬森の学校のメンバーとSWTJはキッチンで協力 (10月23日) 

気仙沼市の旧月立小学校が3月11日の大地震による被害も少なく、奇跡的にきれいに残された。

地域が交流できる場として、そして人の新しい繋がりが生まれる場として、大きく期待しています。破壊的な被害に遭った三陸の里海ですが、里山から復興を心から望みます。 


SWTJはこの場の文化的な底力を大きく期待しています。そしてここを拠点しているSWTJ気仙沼支部の復興に向けての活動を力強くサポートしていきたいと思います。

SWTJ春の花球根企画:

SWTJの去る10月25日の「被災地で冬の前に球根を植えよう」というアピールに対し、大変寛大な答えがあって、感謝一杯です。
大勢の方々が球根を選んで送ってくださったり、土やプランターのためのカンパを頂きました。皆様のご協力本当にありがとうございました!
  皆様から集まった球根の数々
 


土と材料を現地で仕入れました (11月7日)

そして、仮設住宅入居者の方々と一緒に土作り・花壇作り・プランター植え込みなどを行いました。

土作り(11月8日)

大きな花壇の準備


 現地でのボランティアも参加
仮設住宅入居者の皆さんと一緒に球根を植えました

仮設住宅のそばの大きな花壇が完成!
休憩時間、「お茶っこ会」は京都のお菓子で頂きました。
それぞれの世帯のために個人プランターも作りました
プランターの設置

 土植えもやりました

植えた後、みんなでソーセージで交流イベント:150本焼きました




これで春に向かって、花の成長を見守りながら、咲くのが楽しみです!
 ご協力してくださった皆様、本当にありがとうございました!




                   吉川ベアトリス (SWTJ翻訳・編集部)