2011年4月30日土曜日

日はまた昇る。

昨日は、気仙沼のベースキャンプを出て南三陸町へ国道45号線で向った。気仙沼から南三陸町までの町は、たいへん美しい海水浴場だったらしく、民宿、レストランなどの看板がところどころに残っているいがいは、ほとんど壊滅状態。日本の土木の復旧能力に驚かされるのがこの45号線だろう。ただただ道路の両側はなにもない、全部流されたのだ。途中、本吉町で脇道に入ると10メートルぐらいで道がない。そこに、すわってビールを飲んでるおじさんが居て、花を植えていた。話を聞くと奥さんがまだ出てこないから、日に二回ここにしのびにくるそうだ。いっぱい話をしてくれて、私は、ただただ聞くばかりなんだけど、場当たり的な質問に、彼は、「また日は昇るよ」と一言。「京都の話を聞かせてよ」言われて涙声でみんなのことを一生懸命話したのです。ここまで何もかもなくなると、現実を理解できないのか、欲を待たないのか、希望という言葉が絵空事のように思えるのか、この世にのこされた試練を、お日様とともに生きるしかない時間をかみしめているようだった。
南三陸町の復興祭は、生き残った地元の商店街組合が音頭をとって毎月やろうと始まった祭りで、全国の商店街組合からの応援を受けて盛大に行われていた。被災者にはクーポン券がただで配られ、ボランティアと会場である中学生が運営を手伝い元気な催しだった。実行委員長と話をしたら、毎月来てくれと言われた。ちなみに、綿菓子、たこ焼き、ポン菓子、イカ焼きはなかった。
ボランティアセンターのガス抜き宴会は、関西のボケとつっこみをみんなに教えたのでした。和気あいあい、帰るなと言われましたが、ここにこの場所に戻ってくると約束させられました。なんか、しつこい、女に取り付かれた感がありなすなー。

吉川恭生

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