2011年5月31日火曜日

東松島の活動から京都キャラバンへ合流

東松島の人々に会えて:

先週、東松島で大阪の被災復興支援グループに参加させてもらい、石巻にすぐ近い「矢本」というところで仕事をさせてもらいました。

矢本にいる間、全然連絡できなくて、申し訳ありません。とてもモチベーションの高い人たちと一生に仕事をさせてもらいました。外国人のグループでしたので、通訳を務めたのですが、主に、皆さんと一緒に、東松島の人々の家や床下、畑や庭から、ヘドロを取り除く仕事をさせてもらいました。毎朝、東松島ボランティアセンターから仕事をもらって、22人のパワーで、ヘドロの撤去をしました。京都にかえったら、詳しいリポートを書きたいとおもいますが、一つだけここで述べたいことがあります。
それは、東松島でも、まだまだボランティアが足りない。本当に全国からたくさんのボランティアがきていましたが、被災規模が、私たちが想像できる規模を大きく超えています。1つでも多くの家、畑や庭からヘドロをなくしたいのです。梅雨の前に、1つでも多くの場所をきれいにしたいのです。そうしないと、家の中がカビて汚れたり、畑に何も植えられない状況が続くのです。東松島ボランティアセンターの情報が、ネットに乗っていますので、どういうふうに手伝えるか調べられます。私たちがいた間、それぞれのご近所からも、うちにも来てくれないでしょうか?誰に声書けたら、ボランティアさんが来てくれるでしょうか?など、たくさんの質問を受けました。1人でも多くボランティアが必要とされています。


東松島から気仙沼へ:

東松島から、うまく東北@連帯「京都キャラバン」とジョインできるかどうかわからなかったのですが、28日にちょうど東松島でのミッションが終わったので、仙台に戻り、そこから気仙沼へ行く電車があったので無事気仙沼に到着しました。前もってSWTJに情報が伝えられなくて申し訳ありません。ここまできたら、お手伝いをしたいと思ったのとなかなか東北まで行く機会がないので、少しでも力になりたいという気持ちです。

一関から気仙沼までは、今、簡単に行けます。バスもあるし、列車もつながっています。大船渡下り線です。しかし終点が被災、大船渡じゃなく、気仙沼となっています。名前は、「気仙沼行きのワンマンカー」です。とても小さな列車です。かなり混んでいました。中学生たちの乗車が多いです。深い谷を下って、気仙沼を目指します。森が深い。新緑が美しい。途中、地震の影響があまり見えないですが、よく見ると、ところどころ屋根の瓦に被害が見えます。立派な美しい里山民家が多いです。白と黒の倉もほとんどの民家にあって、昔からの里山の豊かな文化が感じることができます。


気仙沼の人々に合えて、歴史、文化、里山の力を感じて:

八瀬(ここの発音で「ヤッセ」)村の人々の強い覚悟に感動。
気仙沼のボランティアセンターで登録すると、気仙沼の里山にある八瀬の旧月立(つきだて)小学校のグラウンドでキャンプ泊することができます。私たちSWTJ東北@連帯「京都キャラバン」の皆も、ここでお世話になっています。ここにある木造の美しい学校が、地元の方々の努力のおかげで保存されています。地元の方の話を聞くと、何年前に、地震に強くないかもしれないという心配で廃校にされ、近くに、新しい学校が建てられました。しかし古い学校が、今回の地震に見事に耐えました。また今は、見事に被災復興のボランティアのシェルターの役割を果たしてくれます。

ここにきた第一印象として、ここは地元の方々、また外から来たボランティアスタッフの方々によって、暖かく、情熱的に守られているということ。隅々までに大変きれいに掃除されてあります。朝6時半、ボランティ全員で、掃除の時間。ここは、とても近くにたまっているがれきの世界とは正反対の世界のようなところ。気仙沼のF婦人が次のように熱く語っています:

「ここの里山が大変豊かです。ここの里山も地震で大変でした。電気も水も長いことなくて、みんなが被害に遭いました。そのとき、外から、たくさんの人々が助けにきてくれました。自衛隊の方々には特に、本当にお世話になりました。やっとこっちは、電気も水も戻りました。今回は、私たちが、この豊かな里山から、海岸で災害を受けた人々のために、少しでも役に立ちたいです。」

全国からのボランティアが、今ここに集まって、ここから海岸へ通って、いろんな支援作業を行っています。八瀬月立でのボランティアキャンプ場には毎日地元の方々が手伝いにきてくれています。その方々がもっているような強い覚悟は、自分たちが大変苦労した方々にしかあり得ない暖かさと熱心があります。旧月立小学校では、この精神が感じられます。


気仙沼藤田新聞店のF.ご夫婦に出会えて:

藤田新聞店では、普段は、河北新報という新聞を配達します。SWTJ東北@連帯の私たちが、月立小学校についた日、その店を運営している F.ご夫婦に出会えることができました。 F.ご夫婦は、地震一週間後から(3月18日から)、自分たちの力で「ふれあい交差点災害特別号」という毎日の特別新聞を作りづづけてきました。毎日、気仙沼での五千の世帯に、それを配ばりつづけてきました。その中に、気仙沼の皆様が日々必要されている情報がたくさん載せられているのです。地震直後、どこでいつ水が配れているか、どこでガソリンが手に入るか、最近は、気仙沼ではどこでどの店が復興して、運営を始めたか、という情報。その最新の毎日の情報のおかげで、地元の人々が、お互いを支えて、お互いの店にも行ったりして、励まされたりしているのです。 F.ご夫婦が、毎日朝3時に起きて、前の日で行った取材をまとめて、災害特別号を作りつづけています。

F.夫人から、災害特別号の何枚かのコピーをいただきました。
その中に、気仙沼の今の状態について、貴重な情報がたくさん載っています。たとえは、気仙沼でこれからがんばって行こうという店の情報が詳しく乗っています。
このコピーした情報を、SWTJではこれから有意義に使えるではないかともおもえます。もしかすると、気仙沼の店店と、京都や各地の店店が、これから何か協力ができるかもしれません。また、この資料は、SWTJをつうじて、関西での人々に、被災地での状況を語ることができるでしょう。近いうちに、ネットにもあげたいと語っているF。ご夫婦。
SWTJを通じて、気仙沼と京都の人々が、これから何かのパートナーシップをできるとよいかもしれません。

この資料を大事に京都へ持ってかえります。

吉川ベアトリス (ベア)

0 件のコメント:

コメントを投稿