2011年5月30日月曜日

帰ってきたSWTJ。気仙沼は連帯していました。

私にとって3回目となる気仙沼ミッションは、前回訪れたのが昨日のように感じながら始まった。

移動の疲れもさほどなく(内田隊員が長いドライブを担当してくれたため)ベースキャンプを張る。この旧月立小中学校は、大正時代に建てられた木造校舎で、歴史的建造物に認定されている。壊さずに保存をし、上の土地に新しい校舎を建てたわけだ。ボランティアセンターから紹介されて来たのだが、山に囲まれた素晴らしいロケーション&美しい校舎、中で宿泊したいなーなんて思いながらゆっくりしていると、地元のおじさんらしき人が来て「5時半から手打ちそばをふるまいますから調理室に来てください」と声をかけられる。おもいのほか大盛りだった昼のラーメンが皆の腹にまだ居座っていたので、「ふぁーい」と生返事。3度目のお誘いに、チョットダケ行こうとコップ酒片手に行ってみると、まあ、なんということでしょう。テーブルの上にはそばはなく、手作りのつまみ(自衛隊OBのおじさま方作)酒、ビール、ワインが所狭しと並んでいるではありませんか。まさに、宴たけなわ、遅れて来たゲスト状態で迎えられ、全員ばらばらに座らされカンパーイ。だんだん地元の方も増えてきて、そばがふるまわれ、天ぷらが始まり、ここはどこ状態。初めて参加する大輔、内田も「俺たちまだ何もしてないのにこんなに歓迎されていいの」と戸惑う。「まあ借金からのスタートやね」と明日からの活動を確認する。ボランティアセンターから最後のメンバーが帰ってきて、前回知り合ったメンツとも再会でき最高でした。みんな強く連帯を誓いました。

最初の晩でテントは浸水、朝早く旧月立小中学校の管理長さんから今日からは校舎の中で宿泊してよいとのお話をいただきボラ全員校舎に避難しました。炊き出し買い出し班とテント撤収班に分かれて活動開始。雨の中の調理を覚悟していたが、調理場も使いなさいとのお言葉に全員感謝感謝。軒先を借りて母家も借りるパターンとなりました。

初炊き出しは、学校の大きな調理室で快適に準備して、小原木中学校へ豪雨の中行きました。小原木中学校は、避難者100名の比較的大きな避難所で、パーテンションもなく、おもわず圧倒されました。プレハブの調理室で料理を暖め直し体育館で配膳。食事係の奥様方のてきぱきとした協力のおかげで無事食事をしていただきました。メニューを紹介して、デザートの綿菓子を準備していると、何人かの方が作り方を教えてほしいとの展開に一同感激しました。最後にお別れをするとまるで演歌歌手の花道退場風景のように拍手で送られ、豪雨にもかかわらず外まで多くの方々が来てくださいました。必ず戻ってきます、と大声で挨拶をして帰りました。

次の日、朝早くボランティアセンターから電話で「台風のためセンター休止」の連絡あり、ボランティアのための炊き出しも中止になりました。とほうにくれていると、誰ともなく「よし、ここでお世話になった地元の方とボランティアに炊き出ししよう。」と声が上がり、即地元の方に連絡を取りました。
地元の方々もこころよくお見えになっていただき、あっという間に50人の大きな家族が出来上がりました。初めて食されるクスクスもおいしいといっていただき、嬉しかったです。ここは地域の団結力がたいへん強いところで、数々の社会学習を企画されていて、そば打ちをはじめ、たたら製鉄で玉鋼作り、炭焼きなど、どれも体験したいものばかりで、お話を聞いているだけではもったいないとおもいました。

この日の顛末はまた後日書くとして、今日の朝起きてから、新聞を読んでると、チラシと一緒に「ふれあい交差点」という新聞配達所が出している自主新聞がはいっていました。この内容は土曜日のそばをふるまわれた宴会のことで、我々ボランティアに感謝したいとの内容でした。写真入りで、ボランティアのみんなに食材を提供しようとの呼びかけに、さきほどお寿司屋さんからお米と野菜、そして、夜にはお寿司を持ってきますとの申し出を受けました。感謝で言葉も出ません。我々だけが気仙沼を支援しようと連帯してるのではなく、みなが連帯しているのを痛感する毎日です。京都キャラバン隊は、涙もろくなってます。少なくとも隊長は。

京都キャラバン隊 隊長吉川恭生


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