2011年9月27日火曜日

被災地支援活動に初参加して(2)~甲斐可奈子

SWTJ第6次キャラバンに参加して】

「山水風土みな仏」 。これは気仙沼に到着した初日に、月立小学校付近の地元のトラック市場(地元の方々が農作物を持ち寄り売買する市)で、とあるおじいさんに教えていただいた言葉である。自然に畏敬の念をはらいその恵みに感謝して暮らしてきたのだろうその周辺には、稲が実り蕎麦は小さな白い花をつけ、豊かな自然が広がっていた。

しかし市街地に降りていくと(海の方へ向かうにつれて)その風景は一変した。かつて人々が生活していたところまで海水で浸り、下水管が破損して漏れだしている所もあるという。特に港付近ではヘドロがひどく海水の腐ったような臭いがした。(それでも臭いはかなりマシになったそう。)

私達が視察をした際にはその付近は大学生と思われるグループや個人のボランティアが懸命に泥かき等の作業にあたっていた。聞くところによると海水に浸った気仙沼の町は震災の影響で90㎝~120㎝の地盤沈下があり、港付近では道路と海が同じ高さになっていた。
仮に地面を1.5m2mかさ上げすると、それに伴ない上下水道の引きなおす必要があり、約2年の歳月がかかるとのことだった。このような状景が東北地方沿岸数百キロに及び続いていると思うと、復興、復興と声高に叫ばれてはいるが、震災から半年が経過したものの未だスタート地点ではなく、それは気の遠くなる様な時間の先にあるものに感じられた。

さらにこの震災の深刻な点は津波の被害に加え放射能問題が農業、漁業、畜産業に与える影響にあるだろう。お話をしてくださった子牛の繁殖農家さんは今年は売値が半分だと嘆いていた。また飼育用のわらを使うことも規制されているそうだ。一見津波の被害をまぬがれたかの様にみえる山間部でも震災は大きな爪跡を残している。

「放射線は心配ではないのですか。」と尋ねると「仕方ないねー。」と地元の方はおっしゃった。ここで生活している方々にとってはその言葉に尽きると思うのだが、この非日常が日常になっている状況に私は慣れすぎていなかったか、という思いも湧いてきた。

今回、京都の老舗和菓子店「大原女家」さんより「かま風呂(お菓子)」、おなじく「御所飴本舗」さんより「飴の詰め合わせ」をご提供いただき、気仙沼、南三陸、陸前高田の仮設住宅にお届けしてきた。南三陸町志津川地区では住民の皆様にお集りいただき茶話会を開催した。

お茶を淹れるのに必要なお湯、ポット、テーブルや湯のみがわりの紙コップ等は、こちらから準備して伺ったものの既にすべて準備されていた。月立小学校付近のぶどう農家さんにいただいたぶどうも手際よく洗われた。ご婦人方の段取りの良さはさすがだな、と感じた。ご自身で漬けたおしんこを振舞うかたもいらして(とても美味しいおしんこでした)お話に花が開き、楽しい時間が流れていた。

このような茶話会は今回が震災後はじめてだと聞いたが、これからも継続していくと良いなと思う。特に仮設住宅等で見知らぬ人と隣近所になったケースも多々あるが、何かをきっかけに交流し、深め、広がることによってそこに生きる人々が納得する地域再生のビジョンが描けるのではないか。震災の壊滅的な被害を目のあたりにして、元には戻れない、これからできてくる町、人と人との関係は新しいものなんだ、という印象を受けた。そしてその始まりは対話にあると思う。何気ないことでも何でもいい。

被災者の方々の哀しみや憤りは、被災者でない私が本当に理解することはとてもできないと思う。それでも地域の人々の声に耳を傾け、きっかけを共にし、その広がりに寄り添っていきたい。
何かをしてきたというよりも、頂いたことの方が多い3日間だった。

(事務局 甲斐可奈子)

2011年9月25日日曜日

被災地支援活動に初参加して(1)~櫛山健一郎

櫛山撮影
震災からはや半年がたった9月に出発した第6キャラバン隊。私は今回始めて被災地を訪れました。

震災直後はしばらく、津波による被害が大きかった地域の写真や映像が頻繁にテレビで流れていました。今ニュースの話題の中心となっているのは福島の原発問題がほとんどであって、今回訪れた津波の被災地の現場状況についての情報は段々と少なくなってきています。
しかし実際に津波被害地へ訪れてみると復興への道はまだまだ長く続くんだなと復興への道の険しさを改めて感じました。


その被災地の復興の進行状況を目の当たりにし、「人対震災」の関係性についてだけでなく、被災地の「人対人」との関係性はどのように変化しつつあるのかということを考えさせられました。被災地での人と人との間にはコミュニケーションの障壁として様々な問題点が見受けられます。

櫛山撮影
まずは物理的障壁。
仮設住宅に移り住んできた人々の多くは津波の被害を受けた海側に住まれていた方々です。反対に仮設住宅は被災しなかった山側にあります。海側と山側の物理的距離感に伴い、それぞれの土地に住む人々の文化・心の距離感も少なからず開けているようです。ある女性に、話の流れから「どちらの出身ですか?」と聞くと「私は海の人間です」という答えが返ってきて、海のことについて延々と話してくれました。これは一つの事例に過ぎないですが(その他の人々からの話を含め)、同じ気仙沼という地域でも土地に対する考え方・捉え方が大きく異なるくらい、ここ気仙沼には海と山の人々の間で大きな文化の違いがあるようです。海側の人間と山側の人間、日常的に異なる文化・生活スタイルで過ごす人々との共同生活。この物理的障壁から生じるコミュニケーションの溝は少なからずあるように感じました。

撮影山中
さらに年を重ねてから、初めて出会う土地・人々との関係値を構築していくことはなかなか難しいことだ思います。子供達は警戒心が少なくいろんなこと・ひとに興味を抱き心の距離をぐっと寄せてくれることが多いです。反対に、ある程度成熟しきってしまった大人たちはなかなか素直に心を通わせることができないということがあります。しかしそれは、接触する機会が少ないというだけの問題なのかもしれません。

今回お祭りをお届けした南三陸町志津川でそのように感じました。区長さんのお話を聞いたところ、住民同士が集まって食事をする話をする機会は震災後初めてだとおっしゃっていました。にも関わらずにぎやかなおしゃべりは絶え間なく続き、ある女性は「みんな集まると聞いたからおしゃれしようと思って、ブラウスを新調してきたの。」と晴れやかな笑顔で語ってくださいました。ここ被災地では日常生活の中でおしゃれするという機会が少なくなっています。このような機会を心待ちにしている人も少なくないはずです。

櫛山撮影
このような「コミュニケーションの機会の損失」が見受けられ、今後も継続的な「地元民同士の交流の場を作ること」が必要であると感じられました。
今回私たちがキャンプ地の月立小学校で夕食にさんま会を開いたときも、仮設住民の方々から「このような機会があればまた来たい。」とか「食事を介した場はしゃべりやすい」といった声を聞くことができました。


撮影櫛山
「被災地とそうでない人々との連帯」これは私たちがお祭りを届けながら行ってきた活動ではありますが、「SWTJ⇔被災地の方々」というベクトルだけでなく「地域住民⇔仮設住民」、「仮設住民⇔仮設住民」というベクトルのコミュニケーションをSWTJの遠征がないときでも自発的に継続的に行える場、機会を提供することが必要であると感じました。


(東京支部 櫛山ライオン丸健一郎)

2011年9月22日木曜日

気仙沼から南三陸へ 国道45に沿って

気仙沼波路上墓地
海を見渡せる大きな墓地。近くには、快水浴場100選にも選ばれた市内有数の砂浜もあった。
墓石は津波に倒されたものの、防波堤によって流出は防がれた。残念ながら墓石の下にあった遺灰の多くは流出。
今はほとんどの墓石が起こされているものの、元あった位置がわからないものも多い。墓の所有者も亡くなったり越されたりしているため、元の墓地に戻すには難しいだろう。


気仙沼波路上向洋高校跡
上記の墓地からもほど近い、水産高校の在った場所。津波避難所にも指定されていた。気仙沼市内は離島大島があったおかげで幾分津波の勢いが弱まったとされるが、この辺りは太平洋に直接面していてまともに津波を被った。解体もされず、そのままの建物が多く残っている。高校生たちは、気仙沼西高校はじめ、市内3校に分かれて授業を続けているそう。


陸前小泉
三陸の海岸沿いを結ぶ、地域の重要な交通手段だったJR気仙沼線、ドラゴンレール大船渡線。
完全に破壊され、復旧の見通しは全く立たない。場所によってはここに鉄道があったことさえ想像できないくらい、線路や駅ごと流されてしまった場所もそのままある。


清水浜
半年が経過しても、あまり変わらない景色。遠方へ出かける際のお年寄りの交通手段は、もっぱらバスだ。取材日は震災から半年、また3連休にも重なっていたため、遠方から来たボランティアがこのあたりで記念撮影をしている姿を多く見かけた。


南三陸町志津川
4階以上をもつ建築物は、津波避難ビルに指定されているものが多い。が、ここ南三陸町ではそれほど多くない4階でさえも津波を防ぐことは出来なかった。もちろん、多くの建物、住居は全く手つかずのままだ。よそ者からみると廃墟であっても地権者・所有者にとっては資産であるため、解体はそう簡単にはゆかない。


南三陸町志津川
この辺りは、公民館や図書館、景勝公園などが多くあった町民の憩いの場所だった。
広い町内見渡しても、高台以外はいっさい何も残されていない。完全にすべてが流されてしまった光景は、陸前高田にも似ているところがある。


南三陸町志津川
南三陸町志津川海沿いは観光地ではなく、買い回りの商業地でありその周辺は住宅が多かった。すなわち生活の場であったはずだが、5000世帯もあった町とは全く想像できない。人の気配がしないのだ。


南三陸町志津川



南三陸町志津川(撮影甲斐)
瓦礫の集積場所、松原公園。遠方から見ても一目見てそれとわかる、巨大な瓦礫の山脈。たかさはざっと10メートルはあるように見える。瓦礫はおおまかに木材とコンクリートに分別されているようだ。


南三陸町志津川
公民館の前の公園跡は、いまは瓦礫の集積場所となっている。綺麗な海が見渡せる場所だったところに、完全に海の景色を覆い隠すように山が立ちはだかる。



写真の無断転載、複製および加工は一切禁ずる
写真の著作権はSWTJ東北@連帯に帰属する


事務局長 山中

2011年9月21日水曜日

震災発生より半年、ボラセンの様子

 社会福祉協議会が運営しているボランティアの受け入れ窓口「ボランティアセンター」を視察しました。ここ気仙沼市では、「気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンター」となります。

震災発生直後より災害ボランティアセンターとして設立し、7月いっぱいまで活動を続けていました。全国の動向と同じように、その後は縮小の傾向をたどっています。8月1日からは復興支援を名目にわずかのボランティアの受け入れを続けています。

 瓦礫の撤去の比較的すすんだ陸前高田や南三陸など隣町の他の地域と比べて、気仙沼はまだまだ立ち遅れています。ボランティアのニーズが非常に高い地域でもあります。

ただし、この窓口としての機能、コーディネータとしての機能を存属してゆくのは大変なようで、規模はどんどんと小さくなっていっています。ボランティア参加者は、数が50人と限定されています。それを超えると閉め切られてしまいます。
ボランティア参加のための申し込みも、当日ではなく前日以前に事前申し込みが必要です。4日前からの予約が可能。場所は、気仙沼市東新城2-2-1、バイパス沿い「すこやか」という老人施設の裏手にあります。

グループでの登録はできず、かならず個人でとのことでした。視察した日は、大島と南町での泥かき、掃除、土塀落しの作業が用意されていました。

服装や機材は、基本的にはすべて貸し出されています。すなわち、Tシャツにジーパンで手ぶらで参加してもよいと思います。釘の踏み抜きを防ぐために、靴底に入れる防護板も用意されていました。

また、センターよりあたえられた任務は、長靴に張り出されています。震災直後からGWのころまでは、毎日300人がここへ集合しました。午前8時半までに集合します。
器材や服装は、テントの内部にきれいに整理され保管されています。
今は使われることの少なくなった、手押し車。通称ネコ。


50人全員を集めての注意事項の説明が終わると、小分けにされたグループでリーダーより説明があります。

グループごとに応急キット(ファーストエイド)が用意され、これは発泡スチロールの小箱に整理されています。
精製水、消毒液、包帯、スポーツドリンク、虫よけ、保冷剤など。
作業現場へ向かうためのバス。ネコやスコップなど機材を運ぶためのスペースもあります。中には慣れたボランティアは、自分のクルマやバイクで現地へ向かう方もおられました。
毎週水曜日は、ここボランティアセンターの定休日です。よくそれを知らずにここへ向かい、休みでしごとにあぶれてしまう遠方から来たボランティアもいるそう。

ボランティア自体が減りつつもあるので、定員にあぶれることは少なくなったそうです。予約をしていても、当日に来ない人も10人前後はいるのだとか。

事務局長 山中

2011年9月20日火曜日

第6次京都キャラバン 後発部隊現地入り初日

平成23年9月10日(土)~19日(月・祝)、第6回目となる京都キャラバンが東北津波被災地で復興支援活動しました。期間の前半を吉川代表が先に現地入りし、調査・調整を行ったのち、後発部隊として6名の隊員が現地へ向かいました。

ちょうど震災発生より半年が経過し、現地の環境も大きく変化しています。多くの方が仮設住宅へと転居されて新しい生活が始まっています。

写真は、陸前高田広田半島にある仮設集落にて記念撮影。左より事務局長山中の従兄弟・大阪京橋の角森裕、京都の大学を出た後町田市で保育士をしている引田美冴、気仙沼八瀬森の学校管理人でもある吉田勝彦気仙沼支部事務局長、SWTJ東北@連帯本部事務局から甲斐加奈子、京都の大学を出た後原宿でデザイナーをしている櫛山健一郎。代表と私事務局長、現地気仙沼で合流した東京支部田子洋一郎隊員とあわせて、合計8名での活動となりました。

取材と調査を重ねて、前述の環境変化に対しての問題点やニーズの整理をすることが今回の主なミッションとなりましたが、京都のいくつかの企業が被災地の方々へ、という想いを届けることもあわせてお行いました。祇園にある老舗和菓子店「大原女家」さんから銘菓「かま風呂」を、三条木屋町の老舗飴専門店「御所飴」さんから「飴の詰め合わせ」をそれぞれお預かりしました。

9月17日気仙沼へ到着してすぐに、市内繁華街のあった場所、「南町」へ視察に参りました。後発隊のうち4名の隊員が今回、はじめて被災地入りとなります。がれきはずいぶんと撤去されたものの、破壊された建築物は多数そのままになっています。そこで営業や生活をされていた方々にとっては、よそ者からみると廃墟であったとしてもこれらは大切な財産でもあります。慎重に調査と分析をしたあと、立て直すか修復するかを判断します。

ただし、単に建物の破壊だけではなく、地盤の沈下によって海面よりも低い場所が多々あって、満潮時には街中にも海水が下水を通ってなだれ込んできます。水没するところは少なくありません。浸水が復興の壁にもなっています。

今回のキャラバンでよく見かけるようになったのは、ツアー会社が企画、社会福祉協議会のボランティアセンターを通さない、独自のバスボランティア。我々が東北入りし一関ICで高速道路を出るときにも、たくさんの観光バスが行列を作って料金所に並んでいました。これらのほとんどは、関東圏からツアー会社によって送り込まれたボランティアでした。主に泥かき、側溝掃除をしていました。


市内の津波被害地への案内は、吉田気仙沼支部隊員と、
継続的に長く気仙沼へボランティアに来ている高橋さんにご案内いただきました。
南町は壊滅的な被害をうけ、今だ人の気配の少ない場所です。


ツアー会社が募集を行っているボランティアグループの活動。
観光バスで現地入りし、連休を利用して活動します。


南町のシンボリックな箇所。
この一部分だけ、土地の所有者が芝生を植えて大漁旗を掲げています。
他にも、鯉のぼりを立てた場所もところどころで見かけます。


南町から魚市場のあったあたりへ、車で移動。
このあたりは、がれきの撤去が進んでいません。
先に見えるのは、比較的大きな病院の跡。

住宅地も、地盤沈下で毎日浸水。
撤去も解体も進まない住宅跡があちらこちらに点在します。

ぐちゃぐちゃにつぶされた車がいたるところにあります。
完了、もしくはOKの文字は、つぶれた車の内部に
人がいなかったことの確認のしるしです。



半年が経過して、がれきが少しづつ撤去されています。
見た目の大きな変化は、まずハエが減ったこと。
春から夏にかけては、そこいら中に飛び回っていたハエが、
この9月に入ってほとんど見かけなくなりました。
それから、臭いもずいぶんと良くなった気がします。


(撮影、記事 :事務局長 山中)



2011年9月10日土曜日

京都キャラバン写真展 報告

8月23日(火)~28日(日)に開催された「京都キャラバン写真展~新聞では伝わらないこと」は、盛況の後無事終了しました。これまで5回にわたる宮城県および岩手県沿岸部津波被災地を中心に行った、われわれSWTJ東北@連帯による支援活動を写真を通してご紹介しました。
今回の展覧会は、隊員による来場者との直接対話を心がけて、平日は夕方17:00から20:00開催という変則的な会場時間となりました。隊員のほとんどが社会人で仕事を持つために、仕事を終えてから会場に立ち会うこととしましたが、このわずかの時間の間にも1日平均30名と、予想を覆すたくさんの方々にお見えいただきました。


場所 : ヤマモトギャラリー <http://gallery.framing-y.com/ >
京都市中京区姉小路通り寺町東入る下本能寺前町492



週末の土曜日、日曜日は正午より、写真の展示、隊員による活動説明だけでなく、われわれが被災現地で子供達に向けて行っている「小さなお祭り」の一部、たこ焼きと綿菓子をギャラリー前にて販売しました。たこ焼きと綿菓子の販売代金から経費を除いた分を、われわれの復興支援活動に充てています。また、会場では、SWTJ東北@連帯オリジナルグッズの手拭い、ステッカー、オリジナルTシャツを販売しました。このTシャツは、限定販売となりますが、SWTJ東北@連帯ホームページから、被災地支援グッズ販売ページにてもご注文いただけます。ぜひお買い求めください。
(*10月中旬からは、新色手拭い、オリジナルトートバッグも登場します。ご期待下さい。)





今回の写真展は内容を大きく5つに分け、まずは津波被害地の現況を見ていただくもの、それから京都キャラバンの出発前の準備の様子、現地へ到着した隊員が目にした衝撃的な景色、現地の人たちとの交流、そして京都はじめ被災地以外での活動と、SWTJ東北@連帯の活動を一同に見ていただけるものと企画しました。


期間中27日(土曜)の夕方18:00からは、現地活動より帰還した隊員による活動報告と交流パーティを行いました。液晶ディスプレイを用いた現地写真を見ながら、料理長である首藤隊員より解説、ジョークも交えながら和気藹々とした報告会となりました。

交流会では、たこ焼きのほかビールの販売も行いました。収益はすべてわれわれの東北支援活動へと有効に充てさせていただきます。

延べ6日間にわたる写真展で、合計280人もの方々にご来場いただき、グッズ販売、飲食の収益、寄付金の合計は、108,771円となりました。皆様方の心温まるご支援、本当にありがとうございました。



(事務局長 山中)