2011年9月22日木曜日

気仙沼から南三陸へ 国道45に沿って

気仙沼波路上墓地
海を見渡せる大きな墓地。近くには、快水浴場100選にも選ばれた市内有数の砂浜もあった。
墓石は津波に倒されたものの、防波堤によって流出は防がれた。残念ながら墓石の下にあった遺灰の多くは流出。
今はほとんどの墓石が起こされているものの、元あった位置がわからないものも多い。墓の所有者も亡くなったり越されたりしているため、元の墓地に戻すには難しいだろう。


気仙沼波路上向洋高校跡
上記の墓地からもほど近い、水産高校の在った場所。津波避難所にも指定されていた。気仙沼市内は離島大島があったおかげで幾分津波の勢いが弱まったとされるが、この辺りは太平洋に直接面していてまともに津波を被った。解体もされず、そのままの建物が多く残っている。高校生たちは、気仙沼西高校はじめ、市内3校に分かれて授業を続けているそう。


陸前小泉
三陸の海岸沿いを結ぶ、地域の重要な交通手段だったJR気仙沼線、ドラゴンレール大船渡線。
完全に破壊され、復旧の見通しは全く立たない。場所によってはここに鉄道があったことさえ想像できないくらい、線路や駅ごと流されてしまった場所もそのままある。


清水浜
半年が経過しても、あまり変わらない景色。遠方へ出かける際のお年寄りの交通手段は、もっぱらバスだ。取材日は震災から半年、また3連休にも重なっていたため、遠方から来たボランティアがこのあたりで記念撮影をしている姿を多く見かけた。


南三陸町志津川
4階以上をもつ建築物は、津波避難ビルに指定されているものが多い。が、ここ南三陸町ではそれほど多くない4階でさえも津波を防ぐことは出来なかった。もちろん、多くの建物、住居は全く手つかずのままだ。よそ者からみると廃墟であっても地権者・所有者にとっては資産であるため、解体はそう簡単にはゆかない。


南三陸町志津川
この辺りは、公民館や図書館、景勝公園などが多くあった町民の憩いの場所だった。
広い町内見渡しても、高台以外はいっさい何も残されていない。完全にすべてが流されてしまった光景は、陸前高田にも似ているところがある。


南三陸町志津川
南三陸町志津川海沿いは観光地ではなく、買い回りの商業地でありその周辺は住宅が多かった。すなわち生活の場であったはずだが、5000世帯もあった町とは全く想像できない。人の気配がしないのだ。


南三陸町志津川



南三陸町志津川(撮影甲斐)
瓦礫の集積場所、松原公園。遠方から見ても一目見てそれとわかる、巨大な瓦礫の山脈。たかさはざっと10メートルはあるように見える。瓦礫はおおまかに木材とコンクリートに分別されているようだ。


南三陸町志津川
公民館の前の公園跡は、いまは瓦礫の集積場所となっている。綺麗な海が見渡せる場所だったところに、完全に海の景色を覆い隠すように山が立ちはだかる。



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事務局長 山中

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