2011年9月25日日曜日

被災地支援活動に初参加して(1)~櫛山健一郎

櫛山撮影
震災からはや半年がたった9月に出発した第6キャラバン隊。私は今回始めて被災地を訪れました。

震災直後はしばらく、津波による被害が大きかった地域の写真や映像が頻繁にテレビで流れていました。今ニュースの話題の中心となっているのは福島の原発問題がほとんどであって、今回訪れた津波の被災地の現場状況についての情報は段々と少なくなってきています。
しかし実際に津波被害地へ訪れてみると復興への道はまだまだ長く続くんだなと復興への道の険しさを改めて感じました。


その被災地の復興の進行状況を目の当たりにし、「人対震災」の関係性についてだけでなく、被災地の「人対人」との関係性はどのように変化しつつあるのかということを考えさせられました。被災地での人と人との間にはコミュニケーションの障壁として様々な問題点が見受けられます。

櫛山撮影
まずは物理的障壁。
仮設住宅に移り住んできた人々の多くは津波の被害を受けた海側に住まれていた方々です。反対に仮設住宅は被災しなかった山側にあります。海側と山側の物理的距離感に伴い、それぞれの土地に住む人々の文化・心の距離感も少なからず開けているようです。ある女性に、話の流れから「どちらの出身ですか?」と聞くと「私は海の人間です」という答えが返ってきて、海のことについて延々と話してくれました。これは一つの事例に過ぎないですが(その他の人々からの話を含め)、同じ気仙沼という地域でも土地に対する考え方・捉え方が大きく異なるくらい、ここ気仙沼には海と山の人々の間で大きな文化の違いがあるようです。海側の人間と山側の人間、日常的に異なる文化・生活スタイルで過ごす人々との共同生活。この物理的障壁から生じるコミュニケーションの溝は少なからずあるように感じました。

撮影山中
さらに年を重ねてから、初めて出会う土地・人々との関係値を構築していくことはなかなか難しいことだ思います。子供達は警戒心が少なくいろんなこと・ひとに興味を抱き心の距離をぐっと寄せてくれることが多いです。反対に、ある程度成熟しきってしまった大人たちはなかなか素直に心を通わせることができないということがあります。しかしそれは、接触する機会が少ないというだけの問題なのかもしれません。

今回お祭りをお届けした南三陸町志津川でそのように感じました。区長さんのお話を聞いたところ、住民同士が集まって食事をする話をする機会は震災後初めてだとおっしゃっていました。にも関わらずにぎやかなおしゃべりは絶え間なく続き、ある女性は「みんな集まると聞いたからおしゃれしようと思って、ブラウスを新調してきたの。」と晴れやかな笑顔で語ってくださいました。ここ被災地では日常生活の中でおしゃれするという機会が少なくなっています。このような機会を心待ちにしている人も少なくないはずです。

櫛山撮影
このような「コミュニケーションの機会の損失」が見受けられ、今後も継続的な「地元民同士の交流の場を作ること」が必要であると感じられました。
今回私たちがキャンプ地の月立小学校で夕食にさんま会を開いたときも、仮設住民の方々から「このような機会があればまた来たい。」とか「食事を介した場はしゃべりやすい」といった声を聞くことができました。


撮影櫛山
「被災地とそうでない人々との連帯」これは私たちがお祭りを届けながら行ってきた活動ではありますが、「SWTJ⇔被災地の方々」というベクトルだけでなく「地域住民⇔仮設住民」、「仮設住民⇔仮設住民」というベクトルのコミュニケーションをSWTJの遠征がないときでも自発的に継続的に行える場、機会を提供することが必要であると感じました。


(東京支部 櫛山ライオン丸健一郎)

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