2011年10月5日水曜日

被災地支援活動に初参加して(4)~角森 裕

第6次京都キャラバン支援活動に初参加して。

東日本大震災から6ヵ月がたった9月、私は初めて被災地に入った。
17日の朝、ベースキャンプである気仙沼に到着すると、まず地元の軽トラ市へ。軽トラ市は、農家の方々が、軽トラの荷台に農作物を並べて売っているのですが、売っている方々が思いのほか、元気にご商売されている。
あるお店では枯れたひまわりの大輪が売ってあり、店番の女性の方に何に使うのか聞いてみると「インテリアでもいいし、種を食べてもいいし・・・とりあえず置いてるの」とのこと。初被災地入りということで少し緊張していた私は、そのほのぼの感に、正直ホッとした。



午後からは、気仙沼の仮設住宅に差し入れを持って訪問。
やはり、少し疲れてらっしゃるご様子で、「無口で我慢強い東北人」そんな一般的にイメージされる東北人をそのままに感じた。
その後、気仙沼の市街や港を見学に。荒廃した街並、がれき意外は何も無い港は、絶句するぱかりで、写真を撮る気がうせていくばかり。
とにかく現実感のない風景は、復興への道のりの厳しさを感じざるをえなかった。
 



2日目は、南三陸へ。午前中は、港など被災現場を見学し、午後からは志津川地区の方々と公民館で茶話会。
たこ焼きを焼いたり、おば様方とおしゃべりしたり、楽しいひとときを過ごす事ができた。
お話をして、印象的だったのは「ほんとに自衛隊の人にはお世話になった」と、念押しするように話されてた言葉。震災直後は大変だったろうな、と思う。
この地区は山側にあり、自宅は現在ではおおむね大丈夫な様子。また夏頃、水道が復旧した様で一応のライフラインは整っているそう。
「奈良や和歌山の水害も大変だね」と心配そうに話された言葉にも、最悪の状況は脱したように感じられた。
とはいえ、日頃の買い物にも2時間近くかかるそうで、また、将来の仕事の不安を口にされる方もおられた。


この日は、吉川隊長が帰京の為、仙台から夜行バスに乗ることになっていた為、私は茶話会の途中、本隊から離れ吉川隊長を送りに仙台へ向かう。車からしか見ていないが、仙台の街では震災の傷跡は感じられず、むしろ約15年ぶりの仙台の街の発展に驚いた。今後の復興に向けての仙台の役割は大きいと思うので、心強く感じた次第だ。



 最終日は、気仙沼のボランティアセンターを見学後、陸前高田へ。
被災現場を見学し、最後に仮設住宅に差し入れを持って訪問した。
 今回のキャラバンで感じたのは、まずその被災した土地の広大な事。仮設住宅など最低限のライフラインは整った感はあるのだが、なにしろ被災現場が広い為、復旧作業にどれだけの時間がかかるのか想像もつかない。
どうしても、阪神・淡路大震災と比べてしまうのだが、阪神・淡路の時が復興まで10年かかったと言うから、20年以上はかかるのではないだろうか。


それでも、同じ被災地の中で仙台と気仙沼、自宅のある人とない人といった様に徐々に格差が生まれる中、弱者である仮設住宅に住んでおられる方々にも、やがて「自立」を求められる時がやってくる。というか、避難所を離れた時点である程度の自立が求められているはずだ。
心配なのは、そんな環境下、先の見えない中で自立というプレッシャーに被災弱者の方々の心が折れてしまわないか、諦めてしまわないか、ということ。今後、被災者の方々が少しでも心が和み、少しでも前向きになれるようなサポートを長いスタンスできればと考えている。


(大阪支部 角森 裕 : 撮影 事務局 山中)

2011年10月3日月曜日

被災地支援活動に初参加して(3)~引田美冴

「被災地を知り。」

震災から約半年、被災地にはじめて訪れた。
3.11から毎日のようにニュースなどで情報を聞いてはいたが、日々目の前の生活だけを送っている私にとって、被災地への関心は薄く、「日本のことなんだろうか」というどこか他人事のような考えがあったと思う。

気仙沼を訪れた917日。

ただただ壮絶。あまりに現実感がなく、逆に怖くならなかった。
ここに人が住んでいたなんて、暮らしがあったなんて信じられない。
しかし視察をしていると、電線工事をしている人、港に停泊している漁船。復興への道のりはまだまだ長いが、少しずつ街がうごきだしている。本当に少しずつだが、人々は前に進み始めているのが感じられた。

被災地を訪れて一番記憶に残っているのが、2日目に南三陸を訪れたときのあるマンション。

まだまだ手づかずのままの状態の建物が多く、部屋から廊下に流された荷物をみていると、「男の人がすんでいたんやな、若い人なのかな」と暮らしが見えてくるようだった。生活感を感じるのに人の気配がしない、風の音だけが瓦礫のヤマを吹き抜ける。私たち外からきた者からすると廃墟であっても、そこに住んでいた人たちにしてみれば何ものにも代え難い財産。復興とは言え、「解体すればいい、新しく建て直したらいい」、そんな一言ですまされるような簡単なことではないのだろう。

今回、2日目の18日目に南三陸町志津川地区の住民の方々に集まっていただき茶話会を開催した。「こんにちは~」と集まってきてくださる住民の方々。京都から持ってきたお茶とお菓子、焼きたてのたこ焼き、月立小学校付近のぶどう農家さんに頂いたぶどうを囲んで会話が弾み、とても楽しい時間であった。しかし、茶話会をひらいた公民館も少し前は避難所と物資置き場であり、このような集まりは震災後はじめてとの事。「8月にやっと自分の家に帰れたのよ。やっと気持ちが落ち着いてきた。」と笑いながら涙を流している方がいたのだが、被災者の方々の憤り、悲しみは被災者でない私が理解することはもちろんできることではなく、人と人が集まれる場をつくろうというのも軽々しく言えることではない。半年たった今だからこそ、こうやって茶話会がひらけたのだろう。それでも「休みの日によく来てくれたね」と気さくに話しかけてくれるおばさん方。「キレイに爪を磨いていますね」と話すと、「久しぶりだもの、今まではなかなかお洒落もできなかったからね」と女らしさも忘れていない。中には新しいブラウスをおろしてきた方もいた。女性として素敵だ。

対話が地域住民の前向きな行動を後押しするのかもしれない。SWTJのような団体だけでなく、住民と支援団体やボランティア、こどもから高齢者の住民同士、住民と行政の対話の機会をつくっていくことが必要であると感じた。

この3日間で見たこと・触れたこと・会話したことで、色々な感情が私の中でうごめいていて、どのようにコトバをつないで表していいのか分からないところが正直なところ。
しかし東北にいって、老若男女を問わない多くの方と話し、食事をし、お酒を交わしたことでたくさんの人の温もりに触れた。美味しい魚介類、豊かな自然などの東北の良さを知った。知らない土地から好きな土地に。これまで他人事だったことから私の一部に変化したことが参加して一番の大切にしなければならないこと。少しずつ被災地のことがニュースの話題から少なくなっている現状。忘れてはいけない。あの3日間のことを考えると「ああ、会いたいなあ。」と思い出す多くの顔。また笑顔で、あの元気な顔を見に、会いに行こうと思う。



(東京支部 引田美冴)

2011年10月1日土曜日

フリマ&京都ドイツビールイベント出店

SWTJ東北@連帯では、資金獲得のために様々な活動を行っています。通常は、オリジナル支援グッズの販売や寄付のお願いを続けていますが、ほかにもイベントへの出店や不用品販売も随時行っています。平成23年9月25日(日)は、2つのイベントに参加しました。

朝10時からは、京都市役所前フリーマーケット(プラスワンネットワーク主催)の1ブースを確保し、隊員やその家族・支援者から寄せられた不用品を集めて販売しました。
 この日は幸いにも好天に恵まれ、また3連休にもあたり沢山の人出でにぎわいました。寄せられたもはフリマ主催者の主旨にそって不用品に限られています。絵本や漫画、男女不要衣類をたくさん販売いたしました。

販売には事務局より山中、上田、石本、岡本、稲葉、庄谷が参加しました。
この日の利益はざっと20,000円ほどになりました。
同日13:00〜19:00は、ドイツのビール祭り『オクトーバーフェスト 2011 京都』が開催され、PR活動とステッカーやTシャツなどの復興支援グッズの販売をさせていただきました。

京都でも本場のドイツビールを楽しんでいただけるこのビール祭りに、主催者ドイツリンク京都様からブース提供をいたきました。仲野、縄稚が参加しました。

日時:9月25日(日)
場所:京都大学西部講堂

このように、東北での現地活動を後方支援するために今後も様々な形で資金獲得活動を行ってゆきます。

事務局長 山中