2011年12月24日土曜日

震災後9ヶ月が経過し、初めて現地を訪れる。

第9回:クリスマスキャラバン

平成23311日から約9ヶ月が経過。
9
ヶ月目にして初めて現地を訪れる。




昨年、私は足の手術を行い、震災直後はまだ手術した足に不安があったため、すぐに現地に赴く事ができなかった。
また、震災から月日が経つにつれ、『今から自分に何が出来るのか…』という思いもあった。

切っ掛けは今年の10月、SWTJの隊員でもある友人からのチャリティーライブの誘いからである。そこには学生時代にお世話になった講師の姿もあった。SWTJ代表の吉川恭生氏である。
この出会いを無駄にしてはいけないと感じた自分は、その場で現地に行くことを決心した。

自分自身の様々な問題と不安を抱えながら、12月の『第9回:クリスマスキャラバン』に参加。震災からすでに9ヶ月が経ち、体の不安が残ったまま、初めて現地(気仙沼)を訪れる。




蕎麦打ちを披露する気仙沼の吉田氏

現地の方にクリスマスプレゼントを手渡し。

私の不安とはよそに、気仙沼で出会った方々は皆、私を笑顔で迎えて下さった。そして、人には話せないような悩みや震災での記憶を私達に丁寧に話して下り、一人一人がそれぞれの思いや悩み、苦しみを持っている事を改めて知った。

中には私の手を取り、『よく来てくれた。よく来てくれた』と、何度も強く手を握り、目に涙を浮かべる方もいた。

そして、ここでは私の足を気にする人はいなかった。それよりも、自分が現地に来たことを喜んで下さった。

私は、今回の活動の中で、SWTJ(東北@連帯)メンバーが、なぜ、祭りのような事を現地に届けようとしているのか分かるような気がした。
私自身、現地の子供たちと触れ合ったとき、このような時でも、少しでも良い思い出になってくれれば、それで良いという思いでいた。
将来、この子供達が大きくなった時、震災の事を語る時が来るでしょう。
その時に、はっきりとは覚えていなくても、1つでも良い記憶として思い出して頂きたい。

 
  

今回のミッションを終え、私は自分自身としても何が出来るのかを考えたいと思った。
今回の活動では、現実に『見えた部分』と『見えていない部分』があることにも気付いた。
自分はこの『見えていない部分』にも、目を向けていきたいと考えている

この5日間の活動の中で気付いたことは大きく3つある。

まず1つ目は、現地に来て良かったという事。それは、活動を通じて、たくさんの現地の方々に出会えたことで、一人一人の想いを直接受け取る事が出来たという事。

もう1つは、自分が描いていたイメージと現実とのギャップである。ニュースや新聞では伝わらない現実がそこにあるという事。復興復興という社会的な流れに対して、現地の方々の心がそれについていけていないという現実。また、震災当初とは違い、人手不足という現実。津波の被害を受けた建物が、いまだに数多く残っているという現実。そして、今回の活動では出会えなかった方の中には、震災から9ヶ月が経過しても、このようなコミュニティーの場に顔を出せない方もいるという現実。

そしてもう1つは、現地の方と交流することで、復興は人が為すべきものだと改めて感じた。建物や道路が復旧しても、そこに人がいなければただの物でしかない。





改めて、私は本当に現地に来て良かったと感じている。
自分自身の目で見る事に大きな意味があった。
そして、『今からでも遅くはない』と感じた。


支援の形は様々な方法があると思います。しかし、私自身の願いとしては、今からでも現地に来て頂きたい。そして、被災した現場を見るだけでなく、現地の方々と話をして頂きたい。そう願っています。



 






貴重な話をして下さった気仙沼の皆様、本当にありがとうございました。
また必ず会いに行きます。
そして、今回のクリスマスプレゼントを用意して下さった支援の皆様、現地の方々に大変喜んで頂きました。本当にありがとうございました。

SWTJ 渡邉英治

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9回:クリスマスキャラバンスケジュール
10日 18:30京都出発
11日 10:00 気仙沼小学校(キャンプ地)着
      ソバ打ち会・クリスマスプレゼント手渡し
12
日 気仙沼海岸付近を視察
    陸前高田柳澤会館にてキムチ漬け・参鶏湯・クリスマスプレゼント手渡し
     新築祝いに参加
13日  仮設児童館参加・
クリスマスプレゼント手渡
14日  南相馬へ出発
     南相馬最後の避難所を訪問・クリスマスプレゼント手渡
15日  帰京
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2011年12月18日日曜日

第9次京都キャラバンレポート(1)

本格的な寒さを迎えようとしているなか、第9次キャラバンのレポート第1報はわたし、
今回初参加のkatoが担当させていただきます。
「こんなに積めるんか?」「いや積める!」
〜山のようなプレゼントとともにキャラバン出発


12月11日夜京都発。
隊員5人と、たくさんの方からお預かりしたプレゼントで
ぎゅうぎゅう詰めになったワゴン(上地隊員車)が
今回のキャラバンカーです。






北へ向かうほどに冷気が増し〜
仙台を越えたあたりから雪が舞ってきました

インターで見る天気予報
東北はマーク
一関インターを降りたあたりの様子。
路面がところどころ凍っています





陽が高くなるにつれ、少しずつ気温が上がって
雪もなくなり、本日の気仙沼は快晴。

気仙沼市立月立小学校に到着。

ドライバー上地隊員おつかれさまでした!

今日のお昼は恒例「そば交流会」〜
さっそく準備にかかります。

八瀬森の学校・吉田勝彦さん
あざやかなそば切り。


















もと職員室が「食堂」です。
窓のそとに仮設住宅がみえます。




こちら天ぷら部



















渡邊隊員も天ぷら職人デビュー


























「今日は何人くらい来てくれるやろうか?」
「○○さんにも伝えたけれど、覚えてくれているかな」
「もっと声かけたらよかったかなあ」・・・

準備しながらみんなで心配していましたが、開店前からちらほらお越しくださり、
一気ににぎやかになりました。
(ピーク時はそば茹で担当だったので写真撮れず)




隊員からお一人ずつプレゼントをお渡し〜
「こんなにたくさん?!」
「ここのお煎餅、好きなんですよ」
京都老舗田丸弥さんのお煎餅、御所飴本舗さんの飴が入った
京都造形芸術大学の方からの手作りカード入りのプレゼント、
渡邊隊員からの駄菓子詰め合わせは「孫にお土産ができた」と喜ばれました。
上田隊員からのハンドクリームは、この時期の必需品。
手にされた皆さんのほころばれた顔に、
新米隊員(わたしです)の緊張もようやくとけていきました。


夕方、仮設住宅におられる方との交流会〜



京麩の老舗「半兵衛麩」さんからいただいた
「お麩」をつかって
定番「麩チャンプルー」をつくる吉川代表。




仮設住宅に移られて間もない方も多く、まずは
お一人ずつ自己紹介をしていただきました。
漁師さん、介護士さん、、、
月立の仮設住宅には、さまざまな地域から
来られて地縁がない方も多い。
集まる機会を重ねることが大切と、
異口同音に言われる月立のかたがた。
SWTJが接着剤になってくれているよ、とも。




月立の和彦さんの自家製米をいただきながら
語りあうほどに話はつきず


消灯時間、名残惜しくもお見送り
プレゼントをお渡しして




新米隊員のつぶやき〜

12/13気仙沼から陸前高田へ移動途中
警備の方に湾岸の様子を伺う上田隊員 




3月11日から9ヶ月。
手つかずのところも多く、全く知らずに来たならば、
埋め立て工事をしていると言われたら信じてしまうのでは
ないかとさえ思われる、気仙沼の湾岸エリア。
凍てつく風のなかを、淡々と復旧にあたる人たちがいます。
地盤沈下した地に放置された建物、車。
頭についてはなれない。
京都に帰ってきてから、道路工事で削られたアスファルトが
積まれたのを見ても逐一反応してしまっている自分がありました。
これは何だったのか。もとはどういうものだったのかーー
そんなふうに思い馳せるようになりました。
それが「物」であり、そこには人がいて、
暮らしがあり、仕事があったことを、
常に意識するようになりました。




この壊れた風景を「日常」にしてはならない。
特にこどもたちには。
子をもつ親として強く思いました。
そのために自分はどうしたらいいのか。
いっそう考えています。





再開したお店には「営業中」ののぼりが。
誇らしげに、ともしびのように。
刻々と変わることもしっかり刻まねば。
車中から陸前高田の海をのぞむ


次回はこどもを連れていきたい..と
ひそかに企んでいます。

そう、こどもこそ、東北へ。

それまで日常にまかれながらも、出来ることを淡々と続けていく一人に連なりたいと思っています。

(加藤わこ)


2011年12月12日月曜日

第9回京都キャラバンスタート!


第9回京都キャラバン出発しました!
今回は、すこし早いクリスマスを気仙沼の皆さんに届けます。

12日午前より、陸前高田仮設住宅で参鶏湯つくり&キムチつけましょ会。
13日午前は、気仙沼市内児童館でクリスマスリース作り会。午後は小学校学童保育へサンタさん計画。
キャラバンは、15日帰京の予定です。
参加メンバーは
吉川恭生(隊長)・上田裕子・上地 ・加藤 和子・渡邉 英治の5名です。

今回のクリスマスキャラバンのために、クリスマスカードや飴、お煎餅、焼麩、キムチや参鶏湯づくりの材料などたくさんのご支援をいただきました。この場をかりて御礼申し上げます。



首藤直哉@SWTJ

2011年12月6日火曜日

Hope 春を待つ Don't let me down 私を悲しませないで

震災後6ヶ月の9月11日。10月、11月と、はや8ヶ月が過ぎて、現地で感じるのはジレンマだ。
この船を震災の記憶として残すか撤去するかで意見は別れている。

震災直後は緊急援助が必要でプライバシーも無く、何が必要かあからさまに見えていた。当然我々は先を見越して長いニーズに答えようと考えたのだが、はたして?うまく機能したのだろうか?

4月、5月は資金も無く、情報も人脈のも無いまま想像で走っていた気がする。こういう援助が必要だろうとのおごりもあった。被災者の気持ちを理解する為の努力をどれだけしていただろうか?
震災後8ヶ月の南相馬。時間は止まっている。

4月9日、初めて気仙沼市ボランティアセンターから急な依頼を受けて炊き出し150人分を届けに行った時のことをはっきり覚えている。徹夜で仕込んだ「粕汁」を用意する前に手伝ったのは個人宅の倉庫に積まれた物資の種分けだった。米、水、野菜、缶詰、もちろん喜んでお手伝いをしたのだが、この時、気がつくべき事があったようなきがする。

9ヶ月が過ぎようとして「京都キャラバン」も第9回目を送り出そうとしている。毎回プログラムを支援して頂いてる皆様のおかげでなんとか続けられてきた。仲間もまさしくボランティアで出来る事は全部しようとがんばっている。皆、一回一回の出会いを大切にしながら何が必要かを考え続けていた。ブログでもそれぞれのミッションについて仲間が書いてきたが、我々は、被災地で受け入れてもらうのに、何時も愛想よく丁寧に、何を持って来て、何をしに来たのかを説明していた。私自身は、最初からアタマをモヒカン刈りにして、一度遇ったら二度と忘れられないよう努力していた。
愛想良く丁寧にモヒカンが行く陸前高田。お目付役二人。

6ヶ月が過ぎた頃から何か少し変わってきたような気がしていた。そのころ瓦礫は撤去されていき、避難所から仮設住宅への生活と物理的には改善されたように報道されていた。(現実には決してそうでもなかったのだが)物資は姿を消し住民格差はどんどん広がっているように感じ始めた時、陸前高田の仮設で言われた言葉にはっとした「何も持ってこんでいいからゆっくりしてこ」。タコ漁師のゆうちゃんと飲む酒は美味しいし、月立仮設住宅で飲む酒は静かに塩っぱかった。中学生とのワークショップも楽しかった。素晴らしい出会いが重なり少しづつ本音の話が出来るようになってきた。


気仙沼支部の田村支部長が毎年新月中学校で行っている「たたら製鉄」ワークショップ。砂鉄を木炭炉で溶かし製鉄をする。
この地方に昔から伝わる伝統だ。製鉄した鉄をどう使えるようにするかが課題だ。吉田事務局長と手伝う。

私は、思う。被災地の人々だけではなく誰にとってもお金は大切だろうし、生活をして行く上での様々な物が必要だろう。時間も。そして、当然の事ながら我々には皆、幸い「尊厳」と「品位」がある。被災者の人たちは、支援、援助を受け入れるだけの生活に疲れておられるのだ。
アクセスが容易だった塩竈には物資が溢れていた。もらうのに疲れた彼らに綿菓子を渡すのも一苦労だった。


「緊急」から「長期」へと変わっていく「復興」は、「物」から「お金で買えないもの」に変わってきていると思う。否、はじめて気仙沼を訪れた時からそうだったのかもしれない。あまりにもひどい被災現場で私には見えていなかっただけかもしれない。優先順位がその時は違っていたのかもしれない。「お金で買えないもの」とは?なんだろう


「お金で買えないもの」記憶、写真、家族、戻せない時間。


我々が取り組んできたプログラムは、その時々の要求にすばやく対応し、大変喜ばれたと思う。それは、リサーチ、モニタリング、プログラム、アクション、アンケートを実行してきた事と、現地に開設した各支部からの要求にすばやく答えたからだと思う。京都、広島など各地からの支援も心強かった。そして、なによりも第三キャラバン以来お世話になっている気仙沼「八瀬、森の学校」の皆さんの存在が大きい。この地区は直接津波の被害にあったわけではないが、親戚、友人、職場を震災でなくした人もいる。この地区はそれでも我々ボランティアを受け入れて下さり、多くの差し入れ、援助をしてくださっているのだ。


リサーチ
アクション

モニタリング
春の花プロジェクトはチューリップの球根を仮設住宅の皆さんと植える「時間」を共有しようと企画された。
「春を待つ時間」も提供できたかな。


この9ヶ月、多くの悲しみに出会い、笑顔の瞬間に立ち会ってきた中で、感情を表に出せない人々にも出会った。これからも私たちは、心の扉をノックして、真摯に向き合い、信頼してもらうように活動していかなければならないと思う。そして、仮設住宅の扉を開いてもらい、信頼し合えるような存在にならなければ、長い冬を越えて春を一緒に迎える事はできないだろう。望まれている事は、「お金で買えないもの」は、「信頼」しあい「そばにいて」「時間を共有」することなのかもしれない。




南相馬の風景。静寂とはりつめた緊張感が空の彼方へ続いている。空も海もつながっているのだ。


南相馬のパン屋「パルティール」。震災直後被災をまぬがれた唯一のパン屋さんは、パンを不眠不休で焼き続けて避難所に配り歩いた。
このパン屋のテーマソングを作ったミュージシャンとの出会いから、ライブの裏方をつとめる。

Dream&Hope 〜くちびるに唄を、こころに勇気を〜菜穂、高橋遼、ARISA

私たちはここからはなれられない。

吉川恭生